刻み継がれる
言葉と想い
重き病気を通ふ心の涙あり、
努めて帰る今のよろこび。
恵の泉(一九三二年記)命の母、湯治記念

式根島に湧く地鉈温泉は、古くから病いを癒す霊験あらたかな秘湯として、周辺の島々はもちろん、本土からも多くの湯治客が訪れていました。火山列島の伊豆諸島といえど、磯浜のあちこちから様々な泉質の源泉が自噴するのは式根島だけだったのです。
地鉈温泉を切り通す断崖や岩々には、訪れた湯治客が入湯や病の全快を記念して彫り記した文字が、今も残っています。風化が進み、いずれは消える運命にある無数の言葉。さまざまな事情や想いを抱えて、地鉈温泉に浴した人々の姿が時空を超えて伝わってきます。
※なお、これらは自然環境を傷つける落書きです。近年はそういった行為に及ぶ人はおりませんし、してはいけません。



刻み残された彫り文字
年代
現存する一般的な彫り文字は大きく分けて、戦前と戦後の高度成長期以降に分かれています。
1926(大正15)年に東京湾汽船が就航し、1938(昭和13)年に式根島温泉ホテルが開業したことから、来島者が増え、それにともなって地鉈温泉に足を伸ばした人が急速に増えたことがわかります。戦時中の落書きはなく、次は高度成長期の離島ブームである昭和30年~40年代が目立ちます。
見える地名
古くは近隣の島しょが多く、下田や清水など航路に因む地域のほか、昭和に入れば首都圏から来島している様子がわかります。
・鶴見区生麦町 ・千葉県館山市 ・東京亀戸
・下田町 ・安房郡千倉町千田 ・所沢 ・清水市旭町
・大島 ・三宅島 ・神津島 ・利島
内容
彫り文字の内容はおおまかに以下の10種類となっています。
- 出身地・年月日・名前
- 「湯治記念」「全快記念」「入浴記念」の文字
- 屋号・船の名前
- 名前のみ(下の名前が多い)
- 地鉈温泉を礼賛する文章
- 哲学的オリジナル文章
- イニシャル
- カップル連名
- 〇〇命など昭和のLOVE系落書き
- その他・分類不能
①~⑥は戦前、⑦~⑨は高度成長期が多い印象です。なかには、現在式根島で暮らす島民の先祖が記したものもあります。式根島の歴史の記事もあわせてご一読いただくと、より理解が深まるでしょう。
地鉈温泉の言葉ギャラリー
目を開いて
耳を澄ます

























彰功誌について
功績と深い感謝を
後世に伝える
なかでも、式根島の歴史的価値が高いのは、明治時代の島民が子孫や未来に訪れる湯治客のために残した彰功誌です。
地鉈温泉は、昔からアプローチが困難なことで知られ、湯治客は病を癒す一心で、船で海側から入浴したり、危険な断崖を這うようにして上り下りして通っていました。しかし、明治42年。日本政府初の補助事業となった泊港の築造工事で、岩石の除去や土砂の浚渫、船揚場と物揚場の新設などに携わっていた静岡県清水の石工3名が、この状況を知り、工費を自らだして、今の地鉈温泉の原型となる通路を切り開いて、安全に陸側から入浴ができるようにしてくれました。
この、公益に資するボランティア行為について、式根島の島民は深く感謝し、これを後世に伝えるため地鉈温泉の岩盤に彰功誌を刻みました。今も読み取れるしっかりした造りで、当時の島民の意気を感じます。彰功とは「功績を表彰すること」、誌は「記録」という意味です。

彰功誌
当温泉場渓谷二降ル通路ノ急崖ハ、古来毫も人工ヲ加へズ危険云フベカラズ。僅か巌角ヲカカト匍匐シテ昇降シ世人頗ル困苦ヲ極メタリ。然ルニ明治42年11月下旬、駿州江尻ノ人、海野金太郎、山崎春、渡辺米吉ノ三氏大イニ義気アリ、工費ヲ自弁シテ巌石ヲ砕キ新阪路ヲ開通シテ昇降自在タラシメ 尚砂防石垣ヲ設ケ湯壺付近ノ障害物ヲ除去シ一般湯治者等客ノ利便ヲ得セシメタリ。吾等此公益義挙に対シ、三氏ノ功績没スルニ忍ビズ吾等ハ記念ノ為ノ石工ヲシテ本碑ニ彫刻の費ヲ義援シ後世長ヘニ此功徳ヲ謝スト云爾
明治四十二年 十二月 意拝
式根島
泊港 不明
同 不明
野伏 不明
同 不明
焼山 不明
石白川 不明
下田石工 笹木清吉
当温泉場の渓谷に降る通路の急な崖は、ずっと昔より全く人の手を加えず、危険であるのは言うまでもありませんでした。人々は、わずかな岩の角に、かかとをかけて這うようにして上り下りし、困難を極めていたのです。
ところが、明治42年11月下旬に駿州江尻(現在の静岡県清水区)から来た海野金太郎、山崎春吉、渡辺米吉の三氏が大変、義侠心のある人で、工費まで自ら負担し、岩石を砕いて新しく坂道を開通して問題なく上り下りができるようにし、さらに、落石やがけ崩れを防ぐ石垣を設け、湯壺付近の障害物を取り除いて、一般の湯治客などが通いやすくしてくれました。
我々はこの公共に尽くした三氏の功績が残らないのは忍びなく、記念として、石工により本碑に彫刻をして、後の世に永く、この善行の感謝を伝える通りです。
秘境・式根島に来たら、地鉈温泉を訪れ、岩石に彫り記された文字を眺め、先人の思いや苦難の歴史に思いを馳せながら、霊験あらたかな秘湯に身を浸してみてはいかがでしょう。