はじめまして!ひだぶんの女将肥田光代です。
8歳の頃両親が民宿肥田文をはじめて、子どもごころに「民宿業は大変だなあ、もてなすより、もてなされる人がいいかな」と思いながら、中学生くらいになると仕方なく手伝いをさせられたりしていました。

中学を卒業すると、式根島に高校がないので本土に進学し、夢の東京生活のスタートです。

私服の学校ということもあり、精一杯おしゃれを楽しみながら、学生時代を過ごしました。

\ おしゃれに目覚めた高校時代 /


しかし、高校3年生の時、実家の民宿が建てて9年目で全焼してしまいました。

姉妹2人とも東京に出ていたので「今後はどうするのか?」と思っていたら、当時の離島ブームの流れもあってか、両親は、以前より大きい2階建ての民宿に建て替えました。苦労しているのは分かりましたが、東京に未練がありました。
そこで、「東京に居座るなら、簿記の専門学校に進め」という親の命令に従い、そちらに進みました。

卒業後は池袋PARCOに勤めました。
同年代の女子でわいわいと、ここも楽しい職場でした。

その頃、母親の手術や入退院があり、長女なので帰って跡を継ぐべきなのかと思い、東京生活に後ろ髪をひかれながら、結婚も重なって、23歳で島の暮らしがスタートしました。

あれから40年~キミマロではないですが(笑)、結婚生活は5年で終わったものの2人の男の子を育てながら、両親と3人でがむしゃらにやってきました。


もちろん大好きなお酒もバレーボールにも燃え、まわりのみんなに助けられながらの現在です。