毎年、1月24日・25日頃のこと。旧暦の地域もありますが、東京都に属する伊豆諸島北部から中部(大島~御蔵島)にかけて、島民が伝承上の「人ではないモノ」の存在を畏れ、一斉に家に閉じこもる独特な風習があります。
これを「物忌み(モノイミ)」といい、かつては日本各地で行われていました。現代の物忌みは、特定の神職や祭主が行うことがほとんどですが、いまだに地域全体で実行していることは極めて珍しく、民俗学的にも貴重です。伊豆諸島は、日本固有の物忌み文化が残る代表地域となっています。
この記事では、調査記録等の史料を紐解き、伊豆諸島に残る物忌みの風習について解説します。

細かいことは気にしない
| 島の名前 | 現れるもの |
|---|---|
| 大島 | 日忌様 代官の怨霊または25人の若者の霊 |
| 利島 | 海難法師 代官の怨霊または25人の若者の霊 |
| 新島 | 海難法師 代官の怨霊または25人の若者の霊 |
| 式根島 | 海難法師 代官の怨霊または25人の若者の霊 |
| 神津島 | 二十五日様 伊豆の神々、代官の怨霊または25人の若者の霊 |
| 三宅島 | 代官の怨霊または25人の若者の霊、馬の首 |
| 御蔵島 | 赤い服を着て鉄下駄はいた明神様 |
日本の物忌み風習について
物忌みの風習について成り立ちを解説します。日本独特の「穢れ(ケガレ)」「ハレ」「ケ」の思想が深く関係しています。
2つの物忌みのルーツ
物忌みとは、特定期間、日常の活動を制限して身を清め、災厄を避けたり、神事を執り行う資格を得るために行います。その成り立ちは大きく分けて、以下の2つの流れがあり、伊豆諸島の物忌みは、それらが融合したものです。
その1:古来の民間信仰や神道の物忌み
古来、日本では神事や祭礼、祝い事などの「ハレ」の日を迎えるにあたり、「日常から心身を切り離して清めるプロセス」を必要としていました。
その背景にあるのが「穢れ(ケガレ)」の思想です。穢れとは、不浄なもの(人や動物の死、病気や疫病、血を伴う出産や月経、犯罪や社会的な禁忌、不衛生な排泄物や腐敗物など)に触れて、人の生命力が枯渇した状態――すなわち「気枯れ」を指します。生活の中で蓄積した穢れを祓い、清浄を取り戻すために慎む行為が「物忌み(モノイミ)」です。
地域単位で一斉に物忌みを行うことで、人々の心身を穢れた状態から健やかな日常(ケ)に戻し、地域単位の特別な祝祭や行事(ハレ)を行う力を得ていました。これを繰り返して共同体の秩序を保っていたのです。
その2:平安時代の陰陽道由来の物忌み
科学や医療が未発達だった平安時代。人々は、疫病や火事、地震、洪水、噴火などの災禍に対応する手立てがなく、人知を超えた「凶事」として恐怖を抱いていました。そのため、これらの災いを鎮め、あるいは未然に回避する手段として頼られたのが、天文学や占術を基礎とする陰陽道(オンミョウドウ)です。
陰陽道のおける物忌みは、単なる「清め」の儀式を超えた「凶事回避」の手段でした。陰陽師の占いや助言に基づき、不吉なエネルギー(凶神)と接触を避けるため、門口に「物忌」と書いた札を掲げ、以下のような厳格な行動制限を行いました。
- 外界から自分を隔離する
自宅の門を閉ざし、外部との接触を一切断ち、不浄や災いの侵入を防ぐ。
- さまざまな制限で自身を保つ
特定の食材の摂取を禁じ、不吉な言葉(忌み言葉)を制限し、自身の陰陽のバランスを保ち、災厄をやり過ごす。
各島の伝説と物忌み
物忌みの本質を理解したところで、各島に伝わる具体的な伝説を紹介します。細部は諸説ありますが、ここでは広く知られている内容をまとめました。物忌みの厳格さは地域や家庭によって異なり、簡素化されつつあります。
共通しがちな背景
- 物語が起こった時代背景: 江戸時代
- 物忌みの目的: 海から訪れる異界や怨霊の存在を避ける
- 日付: 1月24日・25日付近(旧暦・新暦の違いは地域による)
- 魔除けを使う:トベラやノビルなどの植物など
- 行事食:揚げた餅
- 特定の家の存在:特定の家系や神職が「仲介役」を務める


伊豆大島
伊豆大島(以降は大島)は、この伝説の発端となった事件が起きた場所です。特に舞台である泉津(センヅ)地区と近隣の岡田地区で、非業の死を遂げた義勇の士に対する畏怖と供養が入り混じった独自の風習が息づいています。

大島の伝説「日忌様」
昔、大島の泉津村には過酷な年貢を取り立てで島民を苦しめる悪代官がいました。1月24日の嵐の夜、耐えかねた村の若者25人が代官屋敷を襲撃し、代官一行を殺害しました。若者たちは村の東端にある波治加麻(ハジカマ)神社の境内にあった一番大きな杉の木を伐り倒し、一晩で丸木舟を造り上げ、夜明け前に島を脱出しました。
彼らは利島、新島、神津島へと助けを求めて漕ぎ寄せましたが、どの島も報復を恐れて上陸を拒みました。行き場を失った25人の若者たちは、海上で遭難し、行方不明になりました。それ以来、非業の死を遂げた25人の亡霊が、毎年1月24日の晩に五色の旗を立てた丸木舟に乗って波治加麻神社に帰ってくると伝えられ、人々は、「日忌様(ヒイミサマ)」と呼んで、供養の儀式や物忌みを行うようになりました。
別説:若者たちが代官を乗せた船の船底の栓を抜いて沈めたため、代官の亡霊がやってくるという説もあります。
大島の物忌みの風習
大島では1月24日の夕刻から翌25日にかけて、怨霊を避け、同時に義を供養するための物忌みが行われます。
- 供え物
神棚には若者の数と同じ25個の餅、かつては砂浜だった前浜(泉津港)で拾った海水で清めた小石(アラスナ)、そして魔除けの植物であるトベラやノビルを供えます。餅は「海難除けのまじない」として、地域の漁師や船乗りの人々に今も珍重されています。
- 魔除けの結界
家の戸口や節穴、隙間には、悪臭のあるトベラやノビルの小枝を刺し、怨霊が入ってこられないようにします。神棚または出入り口の両脇に海水で清めた小石を並べ、日忌様が通るための「道」または境界線を作ります。
- 行動制限
日暮れ前から家の中にひっそりと閉じこもり、大きな声を出さず、物音を立てないように過ごします。笑い声も許されません。夜は一切の外出を禁じ、明かりを消して静かに就寝します。暗くなってから海を見ると目が潰れる、あるいは身に不祥事が起きると信じられています。火の使用も避けます。
- 家畜の保護
かつては牛小屋の周囲を隠したり、牛を海の見えない山へ放したりして、家畜が霊を見ないように配慮しました。
- 物忌みの終わり
25日は、いつもより遅くに起きて、雑煮を食べました。仕事は海山止めで休みです。
- その他
かつては、全島民が閉じこもる中、旧家の門井家の当主だけは、夜中の12時に霊を迎えるため岬にムシロを敷いて待つ役目を担うという特殊な伝承がありました。この日、他村の人が村に入ると袋をかぶせて殴って追い返していました。
大島のポイント
- 25人の若者たちは、村を守って死んだ英雄である
- 亡霊を日忌様と敬い、日忌祭を執り行う供養の日でもある
- 波治加麻神社に日忌様の祠や切った杉の木の跡が残る


利島

利島は、大島の「日忌様」と同じ起源を持ちながらも、伝説の中で「若者たちの助けを拒んだ島」として位置づけられています。そのため、1月24日に海から訪れる島中を巡るのは、恨みを持った若者たちであり、その災いを避けることを第一とした物忌みとなっています。この怪異の呼び名には独自性があり、「海難法師(カンナンボウシ)」のほか、集落ごとに「ヤダイヂー」「ヌッテッポウ」「作十郎」と呼び、「ヤダイヂーがくるぞ」と言うと子どもが泣き止むといわれていました。利島に伝わる伝説は、大島で起きた悪代官殺人事件の後日談要素が強調されています。
利島の伝説
大島(泉津村)で暴虐に耐えかねて、悪代官を殺害した25人の若者たちは、船を即製して島を逃亡しました。そして、利島に助けを求めて漕ぎ寄せました。 しかし、利島の人々は、後難を恐れて彼らの上陸を拒みました。行き場を失った若者たちはその後、他の島にも断られ、とうとう遭難して行方不明になりました。その亡霊が1月24日の夜に海から現れ、集落を巡るようになりました。利島ではこの日を「忌の日」として物忌みをするようになりました。
利島の物忌み
利島の物忌みについては、供え物や結界のアイテムなどの史料は特に見つかりませんでした。
1月24日当日は、他の島と同様、日暮れ前から家の中にひっそりと閉じこもり、大きな声を出さず、物音を立てないように過ごします。笑い声も許されません。夜は一切の外出を禁じ、明かりを消して静かに就寝します。暗くなってから海を見ると目が潰れる、あるいは身に不祥事が起きると信じられています。火の使用も避けます。
新島

新島は、悪代官の次の任務地であり、非業の死を遂げた海域に近いことから、その怨霊が上陸する地として古くから恐れられてきました。現在でも1月24日は島内で一斉休業の雰囲気が漂い、言い伝えを破る者は心配されるほど、島民の心に深く根ざした物忌みが行われています
新島の伝説「海難法師」
江戸時代、伊豆諸島を巡視していた悪代官が、大島の任務を終え、泉津村から新島へ向かうことになりました。大島の若者たちはこの代官を各島に立ち寄らせまいと、代官の船に水夫となって乗り込み、船が海の中ほどまで来たとき、船底の栓を抜いて船もろとも代官を沈めて殺しました。
若者たちは泳いで利島に上陸しようとしたら断られ、新島に上陸しました。 それ以来、海の藻屑となった代官の亡霊が、海を渡って村人に害を加えにやってくると伝えられ、人々はその日を「海難法師(カンナンボウシ・カンナンボーシ・カンナンボー様)」と呼び、畏れるようになりました。
別説:大島で代官を討った25人の若者たちが、利島を経て新島に助けを求めましたが、後難を恐れた島民に上陸を拒まれ、そのまま海中に没して亡霊となったという説も伝わっています。
新島
新島では1月24日を「親黙り(オヤダマリ)」、翌25日を「子黙り(コダマリ)」と呼び、全域で2日間にわたって厳格な物忌みを行います。
- 供え物
神棚にはトベラの枝を、お餅と一緒に供えます。
- 魔除けの結界
夕方になると早めに雨戸を閉め、入り口や家の節穴、隙間などにトベラの小枝を刺します。トベラは枝を折ると悪臭を放つため、魔物を遠ざける力があると信じられています。
- 行動制限
日没前から家を固く閉ざし、物音を立てないようひっそりと過ごします。家の中で騒いだり歌ったりすることは固く禁じられています。夜間の外出は一切禁じられ、この夜に海を見ると目が潰れるという言い伝えもあります。
どうしても外へ出なければならない緊急時は、魔除けとしてトベラの枝を手に持つか、髪に刺して身を守ります。
夕食に油で揚げた餅(正月の餅を干しておいたものを揚げる)を食べます。これはかつて屋外にトイレがあった時代の名残で、体内の水分を吸収し、夜間にトイレに行かなくて済むようにするためです。漁師は出漁時にも、これをお守りとして持参します。いざという時に揚げ餅を食べて海に飛び込めば助かるという言い伝えがあります。
- 物忌みの終わり
24日は「親黙り」として大人が慎み、25日の「子黙り」は特に子どもが慎む日とされ、26日の朝に、物忌みが明けます。
- その他
新島村旧家の山下家(ニデー)と前田家(シチベー)はそれぞれ海難法師を敷地内に祀り、特別な役割を担っています。当主は真冬の深夜に海に入って身を清める(禊)を行い、暗い部屋で白紙を口にくわえたまま無言で祭式を執り行うと言われています。
新島のポイント
- 船底の栓抜き説が色濃く、悪代官の怨霊や祟りを回避する
- 2日間に渡る長く厳格な物忌みを行う
- 旧家による怨霊を鎮めるための神聖な儀式がある(具体的な公表はない)
式根島

式根島は明治時代に新島からの移住者で開島されました。現在も新島村に属しており、基本的に伝説は新島と同じで、「海難法師(カンナンボーシ)」と呼びます。物語の舞台の江戸時代は、式根島は無人島。怨霊が立ち寄るかは不明ですが、式根島の島民は、しっかり物忌みを行っています。史料にはありませんが、近年、それなりに広まっている別説があるので、そちらを紹介します。
式根島の伝説(別説)「海難法師 」
江戸時代、伊豆諸島を巡視していた悪代官が、大島の任務を終え、泉津村から新島へ向かうことになりました。大島の若者たちはこの代官を各島に立ち寄らせまいと、代官の船に水夫となって乗り込み、船が海の中ほどまで来たとき、船底の栓を抜いて船もろとも代官を沈めて殺しました。代官の身体はバラバラになって、手と足は新島、頭は神津島に流れ着きました。手足を拾ったそれぞれの旧家は災いを避けようと、これをお祀りし供養の儀式を務めることになりました。頭が流れ着いてしまった神津島は、さらに恐れおののいて、より厳粛な物忌みをするようになりました。
怨霊となった代官は1月24日から25日に、笠を被った僧侶の格好で海から現れて、島中を歩き回り、この姿を見てしまうと気が狂ったり、悪いことが起きると言われています。
式根島の物忌みの風習
新島と同じスタイルで物忌みします。
- 供え物
神棚にはトベラの枝を、お餅と一緒に供えます。
- 魔除けの結界
夕方になると早めに雨戸を閉め、入り口や家の節穴、隙間などにトベラの小枝を刺します。トベラは枝を折ると悪臭を放つため、魔物を遠ざける力があると信じられています。
- 行動制限
日没前から家を固く閉ざし、物音を立てないようひっそりと過ごします。家の中で騒いだり歌ったりすることは固く禁じられています。夜間の外出は一切禁じられ、この夜に海を見ると目が潰れるという言い伝えもあります。どうしても外へ出なければならない緊急時は、魔除けとしてトベラの枝を手に持つか、髪に刺して身を守ります。夕食に油で揚げた餅(正月の餅を干しておいたものを揚げる)を食べます。
- 物忌みの終わり
24日は「親黙り」として大人が慎み、25日の「子黙り」は特に子どもが慎む日とされ、26日の朝に、物忌みが明けます。
式根島のポイント
海難法師が通る時、どんなに激しい風が吹いていてもピタリと止んで「ナギ」になるという、不思議な現象がセットで語られています。
下記は、詩人・赤城三郎による式根島のかんなんぼうしの詩です。
式根島の唄の本
かんなんぼうしの唄
ふるさとは怒りをこめて : 赤木三郎詩集
海難法師がやってくる
家のふしあなに、ばけもの除けのトベラ挿せ
戸口にトベラの葉おけ
鼻つまみのトベラの枝 くさいくさい
家のなかはひっそり
だれも出るな 海難法師がやってくる
床の間に塩まつれ
まっしろ紙をくちにくわえ
夜あけの半鐘なるまでくちきくな
まぼろしの舟
帆が潮風にすごい音をたて
大刀小刀もって海難法師
舵の綱も切れているのに
とぶように波をきりさいて法師がくる
大島のかがり火ふわふわ
にげかえろうと溺れた船頭ふたりを背に負って
五色の旗は鳴り まぼろし舟がくる
月がでれば月のひかりで法師の顔がみえる
星がでれば星のひかりで法師の目がみえる
なにはなくともくら闇を刀のつかがまっしぐらに
海難法師がやってくる
今岬の鼻に
神津島

神津島では、海の向こうから訪れる存在を「二十五日様(ニジュウゴニチサマ)」と呼びます。旧暦1月23日から26日(現在の2月~3月初旬)にかけて行われるこの風習は、他の島々で見られる「海難法師(怨霊)」への恐れとは一線を画し、地元神の猿田彦大神と共に伊豆諸島の神々を迎える「神事(二十五日様)」であり、最も厳格な物忌みが執り行われます。神津島の名前の由来は、神集島(カミアツメノシマ)と言われています。次いで、海から現れる怨霊の話も存在しています。
神津島の伝説「二十五日様」
- 神々の来訪と神事
伊豆諸島にそれぞれ住まう八百万の神々は、1月24日の夜に神津島の天上山に集まり、会議(神議り/カミハカリ)をすると伝えられています。この時、神々の行列を先導するのが神津島の猿田彦神(サルタヒコカミ)です。猿田彦神は、その本来の神格である「道開きの神」「交通案内の神」を発揮して、海を渡ってやってくる尊い神々が集落内を無事に巡示できるよう道中の安全を守ります。この神々の行列を覗き見たり、出会ってしまった者は、「即座に息が絶えて死ぬ」、あるいは「目が潰れる」と固く信じられており、人々は厳重に戸を閉ざして姿を隠します。
- 海から現れる亡霊・怨霊
1.釜被(かまかぶせ)」の男
新島で暴れた乱暴者が島替えになって神津島へ送られる際、船内で暴れないよう大きな釜を頭から被せられ、そのまま船が転覆して溺死したという伝説もあります。この男の亡霊が24日の夜に上陸してくるとも言われています。
2.殺された悪代官または大島の若者たち
大島「日忌様」利島・新島・式根島「海難法師」と同じ文脈のもの。
神津島の物忌み
神津島は事前の準備が多く、当日は神職による深夜の巡行など、より綿密な儀式と厳格な物忌みを執り行います。
- 1月23日「三夜待ち」
各家庭で宴会を催して翌日からの厳しい物忌みに備えます。
- 1月24日 神職(ホウリ衆)の準備と拝礼
物忌奈命神社(モノイミナノコミコトジンジャ)の神主および神職のほか、ホウリ衆と呼ばれる一部の氏子が二十五日様の儀式を担います。
1.10日前から立ち入りを禁じていた拝殿と境内に入り、竹と藁で作った厄除け「イボジリ」を制作しや神社の各所や鳥居に飾る。
2.前浜港に神を乗せた船が着くための道「ミョ(渚)/ミオ」を整える。椿の葉とイボジリを目印にする。
3.本殿で献饌(神様へ食事をお供えすること)をし、随神像と薬王殿の厨子前にも献饌をする。
4.夜になってから、イボジリを飾った神社の各所や鳥居を拝礼したのち、前浜港で二十五日様を迎える
5.龍神宮を拝礼する
6.神主が神社に猿田彦神を迎えた後、深夜から翌未明にかけて村内の辻々の道祖神(猿田彦神の碑など)を決まったルートで拝礼し、お清めのご洗米を供えて神々を神殿へ迎える聖域を確保する結界の儀式「辻ガタメ」を行います。このときに神主ほか一行は、屋外で無言を貫き、後ろを振り返ったり、灯りをつけてはいけません。誰かに見られたら、もう一度最初からやり直しとなります。
- 供え物
神棚にはトベラの枝を、お餅と一緒に供えます。
- 魔除けの結界
生竹の先に藁を巻き、その先端を松の根などで黒く燻(いぶ)した厄除け「イボジリ」を作ります。イボジリは神社の鳥居や拝殿、各家庭の玄関、村内24ヶ所にある猿田彦神、道祖神、庚申様に捧げます。
- 行動制限
24日と25日は、日没前から明かりを消し、物音を立てずに就寝しなければなりません。かつては夜9時になると島全体の送電が停止されるほど徹底されていました。現在でも学校や商店は早仕舞いし、夜に営業するお店はありません。期間中は仕事が一切休みとなり、日中に海・山・畑へ行くと「祟りがある」と信じられています。
- 物忌みの終わり
26日は「子黙り(コダマリ)」と呼ばれ、子供たちは引き続き早く寝る習慣があります。翌朝、子供たちが家々のイボジリを奪い合って集め、勝負事(遊び)をすると、物忌みの一夜が完全に明けます。
- その他
来訪神を迎える神事の意味合いが強い
参考:物忌奈命神社神主による説明
神津島の物忌みのポイント
- 民俗学的にも貴重な「来訪神を迎える神事」が現存している
- 神津島では、外来の神であった猿田彦神が、もともと島にあった屋敷神などと融合し、現在では島の境界や辻(交差点)を守る道祖神や庚申様と合わせて、集落を災厄から守る強力な地主神として定着している。
- 「神事を見た者はすぐ死ぬ」という極めて強い禁忌があり、結局怖い。
- 学校や商店の早じまいが今でも行われている。
- イボジリという独特のアイテムを用いて結界を張る。
- 神聖な神事と怪異譚が併存している。
三宅島

三宅島では「海難法師(カンナンボウシ)」、神着(カミツキ)地区では別名「首様(コウベサマ・コウロベサマ)」と呼んで、他の島と同様の物忌みが行われていましたが、現在はなくなったようです。三宅島内の神社の行事にも関連したものは見つけられません。
三宅島の3つの伝説
- 海難法師
大島や新島と同様に、大島で悪代官を殺害した25人の若者または殺された代官の亡霊が海を渡ってやってくるという伝承です。昭和の中頃まで信じられていました。夜半になると、薬師堂に棲むカラ猫の一族が、この亡霊のお供をして、「皿をかせ、陶器をかせ」と呼びながら、家々を回り歩くと言われ、人々は競い合うようにして早寝をしました。翌朝は家族そろって揚げ餅を食べ、この餅を食べないで外に出ると、海難法師の祟りがあると言われていました。
- 首様(こうべさま、こうろべさま)
特に神着地区で信じられている伝説。昔、女性が庭にいた野生の馬に向かって、「もしお前の額に角が生えたら、お前の言うことを聞いてやろう」と冗談を言いました。すると、その馬の額に本当に立派な角が生えて現れ、女性を殺してしまいました。驚いた人々はその馬の首を切り落とし、御笏神社(オシャクシジンジャ)に祀りました。この切り落とされた馬の首が、毎年1月24日の夜に村中を歩き回り、出会った人々に害を加えると伝えられています。
- 雄山に集う神々
伊豆諸島の神々が三宅島の中央にある雄山(オヤマ)の山頂に集まり、羽根突きや鞠投げをして遊ぶという言い伝えです。この神々の姿を見てしまうと、即座に息が絶えて死ぬと恐れられていました。
三宅島の物忌み
相当昔は、他の島と同様の物忌みをやっていましたが、現在は行われていません。
三宅島のポイント
- かつては島全体に広がっていた風習ですが、現在では行われていないようです。
- 他島の「25人の若者」「悪代官」とは系統が異なり、動物の霊(首様)を畏怖する独特な形の伝説がありました。
- 島の中央にそびえる山を神々の集まる聖域と見なし、そこへ目を向けることすら禁じる山岳信仰的な要素が見られます。
- 島全体で風習が失われる中、神着地区の旧家では語り継がれています。
御蔵島

御蔵島では、海の向こうから訪れる存在を「忌の日の明神(キノヒノミョウジン)」と呼び、畏怖の対象としています。他の島の伝説が「怨霊話」の性格が強いことに対し、御蔵島では赤い衣をまとった具体的な姿を持つ「来訪神」として語り継がれ、現在でも厳格な物忌みが行われています。
御蔵島の伝説「忌(き)の日の明神」
1月20日に赤い帆を掲げた船に乗って海を渡ってくる明神様が御蔵島の南西端にあるアカイ川に上陸します。上陸後、明神様は、以下のスケジュールで一日一日と各「ギリ」を越えて集落へ近づいてくるとされています。このギリは結界とされ、人は近づいてはいけません。
1月20日:アカイガワギリ(稲根神社本殿)
1月21日:オオフナトギリ
1月22日:オバンノヲギリ
1月23日:トリノヲギリ
1月24日:ウタヅガワギリ(里稲根神社拝殿)
明神様は、ついに24日の夜に集落に至り、各家を徘徊するとされています。赤い衣を身にまとい、鉄下駄を履いた明神様は怖い形相をしており、出会った者を蹴っ飛ばします。神棚に好物のアブラゲ(油で揚げた米粉の団子)を供えていなかったり、食べていない家は、トイレを蹴っ飛ばして壊します。そして、25日の早朝に「大根ケ浜(オオネガハマ)」から赤い帆の船に乗り、神津島へ向かいます。その船を見てしまうと、目がつぶれると言われ、25日は海を見てはいけないとされています。
御蔵島の物忌み
- 供え物
餅米を砕いて米粉にし、水でこねたものを厚手のかまぼこ状にして椿油で揚げて作ったアブラゲ(揚げ餅のようなもの)
- 魔除けの結界
固く戸締り
- 行動制限
明神様は一日一日と里に近づいてくる為、人が近づいてはいけない結界のボーダーラインも日ごとに里に近づいてきます。
24日は「忌の日」とされ、一切の仕事を休んで早寝し、夜12時以降は家の中に閉じこもります。各家庭では、夕食にアブラゲを食べる習慣があります。これは、昔トイレが外にあった時代の名残で、尿意を抑えるための知恵です。25日の早朝、明神様が船で島を去る際、その船を見てしまうと「目が潰れる」と信じられているため、この日は海を見てはいけないという強い禁忌があります。
- 物忌みの終わり
夜が明けて物忌みが終わると、アブラゲを親戚に配り、手造りの濁酒(ドブロク)とともに食べる祝宴が行われます。
- その他
稲根神社では1月24日の夜に拝殿の扉を開けておきます。25日の深夜(丑満つ時)に二十八軒衆の主人夫妻がアブラゲを明神様にお供えします。全島民が外出を禁じられる中、彼らが代表して仲介役を務めます。
二十八軒衆とは、1725年に御蔵島が三宅島から独立した当時に在住していた28軒の旧家を指します。島内の限られた資源を安定して利用し、生活を維持するために発達した御蔵島社会の中核をなす集団です。現在でも二十八軒衆の家には、御蔵島の地主神である祖霊「トシャマ」が祀られています。
御蔵島のポイント
- 赤い衣と鉄下駄を履いた具体的な神のイメージがある。
- 上陸が1月20日と早く、数日かけて集落へ近づいてくるという時間的な経過がある。
- 「海を見ると目が潰れる」という視覚の禁忌が非常に厳しく、特に25日朝の離島の瞬間が恐れられている。
- 御蔵島から神津島へ神が渡るという、島同士の繋がりを示す具体的なルートが伝説の中に組み込まれている。
海から来る怪異の主の姿の違い
海からやってくる怪異、人間ではないものという共通点はあるものの、具体的なイメージはバラバラです。AIを使って、パターンを描いてみました。風の向きなど、細かいことを気にしてはいけません。






物忌みの影響がある日程
観光客も巻き込まれます!
伊豆諸島北部から中部で行われる物忌みの風習は、それと知らず訪れる観光客や来島者にも大きな影響を及ぼすことがあります。限定的な大島と行われていない三宅島を除き、夜は外に出れないと考えていいでしょう。なかでも神津島と御蔵島はしばりがきついので、よく考慮して、来島を検討した方がいいと思います。
| 島名 | 影響を受ける日 | 物忌の特徴 |
|---|---|---|
| 大島 | 24日・25日 | 泉津地域と岡田地域が中心で限定的 |
| 利島 | 24日・25日 | ある程度物忌みが行われている・夜は人がいない |
| 新島 | 24日・25日 | 島中で厳格に物忌みを行う・夜は人がいない |
| 式根島 | 24日・25日 | 島中で厳格に物忌みを行う・夜は人がいない |
| 神津島 | 23日~26日(旧暦なので注意) | 最も厳格に島中で物忌みと特別な神事が行われる |
| 三宅島 | なし | 一般に行われていない |
| 御蔵島 | 20日~25日 | 島中で厳格に物忌みを行う・期間中結界が多い |
よくある質問
- Q物忌みの時は、島に行かない方がいいですか?
- A
宿が予約を受け入れたなら大丈夫です。ただ、夜に外に出られないなどの不自由がある場合があります。厳格に物忌みをしている島では、星空を見たい、夜釣りがしたいなど夜に外にでたい場合は避けた方がいいと思います。
- Q夕飯はどうしたらいいですか?
- A
厳格に物忌みをしている島では、宿の食事をつけるか、昼間のうちに商店で買っておくといいでしょう。自炊ができるなら、餅を揚げてみる(多めの油で焼いても)のも一つの体験になるかもしれません。
最後に「海の向こうから」
日本古来の物忌み文化が、その純粋な形を今なお伊豆諸島に留めているのは、そこが「人間ではない異界のモノ」と対峙せざるを得ない、絶海であったからに他なりません。太平洋の荒波に浮かぶ島々にとって、海は恵みの源泉、母体であるとともに、容易に生命を奪い去る畏怖の対象でした。漂着や流刑で渡来する本土の人間もまた、事件や感染症などの災いをもたらす脅威でした。こういった特殊な環境が、日々の平穏を願う切実な信仰と結びつき、独自の伝説や儀式、神事を形作っていったのではないでしょうか。
畏怖の心は、異界から海を渡って訪れる神や怪異といった人知を超越した「モノ」を生み出しました。そして、人々はそれらを通じて、祈りを捧ぐことができるようになりました。概念である「モノ」は、人々の心の中にあり、姿・形は虚ろです。科学技術の発展に伴い、こうした畏怖は薄れていきます。そして、いつの日か、それを思う人がいなくなった時、生まれた「モノ」と伝説は、消えゆく運命にあります。
しかし、島々には神事を守り伝え、祖霊を敬い、水難者を悼み弔う精神が根づいています。今回紹介した物忌みの風習も、儀式が簡略化されたり、伝説に「お話」要素が増えるなど、一定の変化をしつつも、当面、続いていくことでしょう。
物忌みの日は、伊豆諸島に暮らしてきた人々の思いを、いつもより少しだけ多く感じ取れる期間かもしれません。地域が紡いできた風習に関心がある方は、敬意をもって、身を置いてみてはいかがでしょうか。
注意事項
物忌みや神事は観光行事ではありません。物見遊山で訪れることは避けましょう。厳格な島を想定して以下の注意点をあげておきます。
- 宿泊施設が予約を受けない、商店等が早じまいする、外食ができないなどの不都合があるかもしれません。
- 外に出てはいけないと言われたら、おとなしく従いましょう。
- 島によりますが、大人数で騒いだり、宴会などができる空気ではありません。
- 夜に外出できないので、基本的には夜釣りや星空観察などができません。
- 神事や儀式の邪魔(要はむやみにうろついたり、無理やり見物すること)をしてはなりません。
参考文献
雑誌「島 1(2)」1933-06「伊豆諸島の正月廿四日行事」p39~50/著者:山口貞夫/出版社:一誠社/出版年月日:1933年
海島民俗誌 伊豆諸島篇/著者:本山桂川/出版社:一誠社/出版年月日:1934年
三宅島百話/著者:池田信道/出版社:島の新聞社/出版年月日:1973年
ふるさとは怒りをこめて:赤木三郎詩集/著者:赤木三郎/出版社:新日本出版社/出版年月日:1973年
伊豆諸島民俗考/著者:坂口一雄/出版社:未来社/出版年月日:1980年
神津島の神々/著者:松本一/出版年月日:1980年
三宅島の歴史と民俗/著者:池田信道 著/出版社:伝統と現代社/出版年月日:1983年
伊豆諸島東京移管百年史/著者:東京都島嶼町村会 伊豆諸島東京移管百年史編さん委員会 編/出版年月日:1981年
伊豆諸島東京移管百年史 別刷 (新島編)/著者:東京都島嶼町村会 伊豆諸島東京移管百年史編さん委員会 編/出版年月日:1981年
島の史跡 大島編/著者:東京都教育庁大島出張所 編/出版年月日:1985年
式根島開島百年史/著者:新島村 式根島開島百年を記念する会 編/出版年月日:1987年
東京の民俗 8 (大島町・利島村・新島本村・神津島村・三宅村・御蔵島村・八丈町・青ケ島村)/著者:東京都教育庁生涯学習部文化課 編/出版年月日:1992年
ふるさと新島/著者:蜂谷義雄 /出版年月日:1992年
伊豆諸島・小笠原諸島民俗誌/著者:東京都島嶼町村一部事務組合 伊豆諸島・小笠原諸島民俗誌編纂委員会 編/出版年月日:1993年
成城大学リポジトリ:地域社会におけるグローバル化への対抗の実態 小島孝夫 著 · 2010
和光大学現代人間学部紀要:黒潮の遍歴者──近世伊豆諸島における漂流、流刑、死霊祭祀の民族誌 挽地康彦 著 2019
國學院大學学術情報リポジトリ「K-RAIN」:島々の聖地 : 伊豆大島編/國學院大學研究開発推進機構学術資料館(考古学資料館部門)石井 匠、内川 隆志、樋口 秀司
島しょ医療研究会誌:年に一度の夜間外出禁止令?~二十五日様、ヒイミサマ、カンナンボウシ~
※一部PDFは直接ダウンロードされます
WEBブログ/物忌奈命神社・神主ブログ「二十五日様」
WEBブログ/関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室「「物忌」のゆくえ ―伊豆諸島における来訪神伝承の消長―」著 辻涼香 2020
WEBサイト/御蔵島伝説
公益財団法人 東京市町村自治調査会 広報誌「年中行事」
