目次
プロローグ
私は、科学史を研究している佐藤賢一と申します。日頃は大学で教壇に立ちながら、全国あちこちを訪ね歩いて、江戸時代の古い道具類や書物を調査しています。最近は、伊能忠敬の地図作りの研究プロジェクト(科学研究費プロジェクト)に参加させていただき、地図の歴史や測量の歴史も手がけています。

伊能忠敬測量チームの謎
そこで、式根島です。江戸時代の科学の歴史と式根島、何か関係があるのでしょうか。 このページで順に説明をしていきますが、1815年に伊能忠敬測量チームが3日間にわたって式根島を訪れ、測量を行っています。
その結果、それまで描かれた島の地図とは比べものにならないくらい非常に精密な地図が描かれることとなりました。その測量経路はどのようなもので、どんな測量をして、どんな地図が仕上がったのか。現在の地形、地名と比較しながら説明をしていきたいと思います。
ただ、残念なことに、 「伊能忠敬本人は式根島には来ていませんでした」
なぜ来なかったのか?
それもいずれ説明します。 約200年前の式根島はどのような姿をしていたのか。伊能忠敬の地図を読み解くことで、探っていきたいと思います。
科学の歴史と式根島、まだまだ多くの謎が控えています。

書いた人

こんにちは。電気通信大学で教壇に立つ科学史家の佐藤賢一です。ご縁あった式根島スタートで伊能忠敬測量チームのトレースをのんびり試みる柔らか踏査録をお送りします。