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のんびり気ままに過ごせるスポットが点在

式根島は周囲12kmで歩いてどこでも行ける小さな島ですが、寺社、史跡旧跡、その他各所にベンチやテーブルが置かれ、のんびりくつろぐことができます。島内はFREE Wi-Fiが整備されているので、インターネット環境も良好です。心ゆくまで、気ままにお過ごしください。

島内MAP

MAPを忘れずに!

式根島観光協会や東海汽船、各宿などで配布しているMAPは、インターネットでも見ることができます。島内はほとんどインターネットが通じますが、西側や奥の海岸など、一部不通となるので、あらかじめダウンロードしておき、オフラインでも見られるようにしておくと便利です。
遊歩道ではGoogleMAPより、GPSで位置や国土地理院地図と足跡が表示される「みんなの足跡」が便利です。

寺社

島の北部、泊浦に近い高台に鎮座する泊神社は1687年造営の歴史ある島内一の鎮守として、島民に親しまれている。御祭神は女性の神様で、伊豆七島の開祖神である事代主命(ことしろぬしのかみ)の后神、久爾都比畔命(くにつひめの)。
ひときわ目を引く、白い鳥居と白砂の境内が美しく、拝殿や神楽殿を擁す。例大祭は、毎年11月8日(前夜祭7日)に行われ、演芸の奉納をはじめ、出店もあり、島民が心待ちにする唯一の祭りとなっている。なお、御朱印やお守り等の販売はない。

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泊神社入口の鳥居
由来
境内の入口
手水舎
神楽殿
拝殿前の鳥居
拝殿

中心地から延びる坂の上にある式根島唯一の寺院が法光山 東要寺。宗派は日蓮宗で、ご祈祷やお祓い、法要、行事を一手に引き受け、墓所を守っている。島民にとって掛け替えのない心の拠り所で、境内の白砂は島民が持ち寄り、島民の手で掃き清められている。
樹齢900年、高さ30m、幹周5mのイヌマキの巨木や梛(ナギ)の木の自生地があり、いずれも東京都の天然記念物に指定。東要寺では、夫婦円満祈願成就のお守りとして、縁起物の梛(ナギ)の葉や、住職手書きの言葉のおみくじなど用意する。ひだぶんからは徒歩1分。”サーファー和尚”が温かく迎えてくれるので、気軽に立ち寄ってみてはいかが。

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東要寺
東要寺
都天然記念物「東要寺のイヌマキ」
東要寺で気軽に体験できるメニューやお守り、おみくじなど
ナギの自生地
お守りになるナギの葉
慰霊碑

猫がのびやかに暮らす式根島で鼠除けの猫を祀る大王神社。かつて、式根島には子どもをさらう化け猫が悪さをしており、流れ着いた平家の落人が退治をしたのはいいものの、猫はタブーになりました。しかし、近代、鼠の害に悩まされた島民が、大王神社に願掛けをして、また猫を飼えるようにしたという。

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式根島にある泊神社の境外末社の一つ。傍らに式根島では見慣れない紅葉の大木がある。

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差出神社
紅葉など
この先遊泳禁止の先にある

史跡旧跡

式根島まいまいず井戸は、1890(明治23)年から、3年の月日をかけて、20人足らずの島民と新島の協力者で完成させた悲願の掘井戸で、水不足に悩み続けた島民の生活、経済、産業を急速に向上させたもの。地下水位の深さから、らせん状に通路を作って掘り下げた原始的な井戸を、その形状より、「かたつむり=まいまい」になぞらえて、まいまいず井戸と呼び、同形状の井戸は東京都武蔵野台地や伊豆諸島に点在する。この井戸がメインの時代、村の女衆は頭におけを乗せて、井戸と家の水がめを毎日何十回も往復して、水汲みをする重労働をこなしていた。
1970(昭和45)年の脱塩浄水場による簡易水道を経て、1976(昭和51)年に新島からの海底送水施設が完成し、式根島の水問題は解決した。この、式根島まいまいず井戸は、今は非常用としての役割を残す。
水神社の祠、コーガ石のオブジェ、トイレやベンチを備えた公園を隣接する。

まいまいず井戸
この井戸を中心に集落が形成された

大の温泉好きの旅する歌人 与謝野晶子は、1938(昭和13)年に夫・鉄幹とともに式根島を訪れ、「波かよう門をもちたる岩ありぬ式根無人の嶋なりしかば」と詠んだ。時を経て、1986(昭和61)年10月、東京都が式根島開島100年の記念事業の一環として、記念碑を建立。傍らには海を釜の下海岸を見渡すベンチを備え、トイレがある式根島港船客待合所はすぐ隣。近くには自動販売機もあり、松が下雅湯や足付温泉の入口は向かい側。ちょっとした休憩スポットにも便利。

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与謝野晶子記念碑
波かよう門をもちたる岩ありぬ式根無人の嶋なりしかば
釜の下海岸を望む
洞問
洞問

釜の下海岸の由来となった、式根島の製塩は、江戸時代の、1642(寛永19)年から1652(承応元年)の10年間行われたと言われる。この製塩作業は、もともと天領の新島で塩を年貢として納めていた36人の釜衆が、海岸や砂浜を使った揚浜式の製塩を行ない、今も、潮が引いた海岸に、塩釜跡の石垣の遺構を見ることができる。案内板には、過酷な年貢にまつわる悲劇の伝説が記され、供養碑や祠が島民の手で守られている。

塩釜伝説では、浦方の船頭新八は、年貢塩の不足に身の潔白を示し、煮えたぎる塩釜に投身したので、その後、式根島での製塩は止んだといい、女房のお福のことも悲しく語り継がれている。
当時の遺跡は、波で流されたり、この付近に深く埋まっている。丘上の供養碑は明治に建てられたものである。

昭和六十二年九月二十五日指定
新島村教育委員会

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史跡「塩釜の跡」
塩釜祠
塩釜祠
釜の下海岸
江戸時代の塩釜の跡
江戸時代の塩釜の跡

野伏港と小浜港の間、標高53mの高森山山頂に1930(昭和5)年に造られた石油ランプ式の高森灯台がある。少し下がった場所には、漁船などの航海安全と、島民の家内安全、安産を祈願した高森観音が祀られ、テーブルとベンチが設置されている。
この高森灯台は、当時75歳であった「宮川タン」という名のおばあさんが、頻発する漁船の夜間の遭難に心を痛めて決心し、5年もの間、高森山上で生活しながら、私財と労力を注いで建設した。88歳まで、杖をつきながら石油をもって、山に上がり、灯りを灯し続けたし逸話は、童画「小さな島の小さな星(久保喬・文、鈴木義治・画、童心社、1984年)」として出版された。また、野伏港のランドマークである野伏港埠頭灯台(通称:赤灯台)は、この高森灯台をモデルにして造られたデザイン灯台である。現存する階段は190段ほど。往時に思いを馳せながら足を運んでみよう。

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高森灯台
石油ランプ式の灯台
山頂付近から望む野伏港
高森観音
高森観音
途中にあるテーブルベンチ
190段の石段
高森灯台・観音入口

島の北部の高台にある吹之江遺跡は、紀元前6500年ごろ(縄文時代の中期)から、式根島に人が住んでいたことを示す東京都指定史跡。現在は緊急用のヘリポートになっており、説明看板が立つのみである。

吹之江遺跡(ヘリポート)は島の北端、泊港を望む台地上に立地しています。昭和40年代後半、ヘリポート建設工事の際に発見されました。昭和59年度からの調査により、祭祀や信仰に関連する地区と、通常の住居が営まれた地区とに別れていることが判明しました。本遺跡では、上部に「白ママ」と呼ばれる886年生成の新島向山の火山灰と、その下部に「灰トジ」と呼ばれる838年生成の神津島天上山の火山灰の堆積が認められます。遺物包含層は「灰トジ」を挟んで上下に存在し、上部からは平安時代、下部からは奈良時代の遺物が出土しています。さらに下層には縄文時代中期初頭、そして早期後半の包含層が続いています。

平成二十三年三月建設
東京都教育委員会

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式根島の北部、深い入り江で外海の影響を受けにくい泊浦は、昔、風待ちの港だった。現在は、その名残として、1888(明治21)年の日本最初の漁港整備事業で整備された、なまこ型の桟橋(村指定記念物)や船揚場の姿を見ることができる。

名勝 泊浦

神話のなかや、出土する遺物で、この入江は古くから利用されたと推測されます。江戸時代、三宅島や八丈島へ向かう 御用船や廻船などは、中の浦やこの泊浦などで風待ちをしました。近くにある帆縫原は、当時、帆の修理をした場所だと言われています。
慶長5年(1600)、関が原の合戦で西軍の敗将、宇喜多秀家は、八丈島へ流罪となりましたがその時この浦で、幾日か風待ちをしました。左側の山は、当時、風向きや海の様子など日和を見る場所として使われ、今も、「物見処」の地名が残っています。
明治以降も千葉、神奈川、静岡等、近県の漁船が避難港として、多く利用されてきましたが、このことが無人の島だった式根島の開島を早めることになり、ついに明治21年(1888) 新島から4戸8名が式根島に移住することになりました。
明治42年(1909)には、農商務省の補助で、日本最初の漁港整備工事が完了しましたが当時の「なまこ型」桟橋や、石張りの船揚場の一部が今も見ることができます。

新島村教育委員会

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なまこ桟橋
泊浦入口
穏やかな入り江の泊浦
階段で浜に降りる

展望台

神引(かんびき)展望台は、カンビキ山(標高98.5m)にある展望台で、新東京百景に指定されている名勝地。トイレ併設の駐車場から、100段の階段を上がって、断崖絶壁上の展望地に上がる。強風時は注意を要する。
丸山(神引山)山頂には、江戸時代に伊能忠敬の測量チームが残した方角石の複製がある。

DATA
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神引展望台
神引展望台
断崖絶壁にある
丸山(神引山)から見る展望台
丸山(神引山)にある方角石
神引展望台入口の階段

ぐんじ山展望台は、島の東端にあり、右に神津島、左に新島を臨む。入口は少々わかりにくいが、車を停められる程度の空き地の向かって右側に小道があり、奥へ少し歩くと、展望台になっている。

DATA
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島の北部にある、でんどう見晴ら台は、視界は大きく開けてはいないが、空気が澄んだ日はベンチに座って富士山が見えるスポット。11月~3月は愛らしいサザンカが彩る。

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でんどう見晴台
富士山が見える日も
サザンカがたくさん
11月から3月はサザンカが美しい

地鉈温泉入口すぐそばにある足地山の展望台。新島や式根島港を見下ろし、向かって右手に神津島を望む。この展望台入口付近から足付温泉や松が下雅湯方面に徒歩で降りることかできるルートがある。

DATA
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ベンチがある足地山展望台
お茶目な多角点
神津島を臨む
大海原
足地山展望台入口

御釜湾(みかまわん)を見下ろす3つの展望台のうち、もっとも南にあり、階段で上がる立派な造りの第一御釜湾展望台。神引展望台方面から遊歩道沿いに徒歩約45分。車道沿いの森と火山ロード入口からも入れ、徒歩12分~15分で到着できる。

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第一御釜湾展望台
第一御釜湾展望台からの眺め
ミチナシのアシカ穴や御釜湾を望む
案内板

御釜湾(みかまわん)を見下ろす3つの展望台の真ん中にある展望台。神津島のが正面に見える。神引展望台方面から遊歩道沿いに徒歩約60分、御釜湾遊歩道入口からは約20分で到着できる。

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第二御釜湾展望台
御釜湾を見下ろす
神津島がよく見える

御釜湾(みかまわん)を見下ろす3つの展望台の一番北側にある展望台。神津島のが正面に見える。神引展望台方面から遊歩道沿いに徒歩約68分、御釜湾遊歩道入口からは約12分で到着できる。

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第三御釜湾展望台
御釜湾を見下ろす
島の北側の海まで見える

その他スポット

野伏港に近い、北東部に位置する式根島養殖場。黒潮流れる式根島のきれいな海の水を循環させ、養殖真鯛「式根鯛平君」を育てている。本格的な魚の養殖場は伊豆諸島でもここだけとあって、式根島自慢の施設となっている。
40cm程度の真鯛は出荷日の朝に血抜き・神経〆・氷漬け作業を行うきめ細やかさで、なんと100g1,000円という良心価格。脂ノリもよく、間違いない逸品だ。
お取り寄せはもちろん、島内で当日受け取りの注文が可能で、営業日の当日11時までに頼めば、宿泊する宿まで届けてくれる。島で自炊やBBQをする方は、ぜひお試しを。

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式根島養殖場
式根の海で育つ
式根島養殖場入口
自慢の養殖真鯛「式根鯛平」

さるびあ丸・ジェット船、新島との連絡船が着く式根島の玄関口・野伏港(のぶしこう)は、新島と向かい合い、その間の潮通しが良く、大型青物から根魚まで魚種多彩に釣れる式根島を代表する釣りポイント。釣りをする場合は、着岸や港湾作業の邪魔にならないよう配慮しよう。

DATA
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野伏港赤灯台
野伏港
式根島玄関口
富士山や南アルプスが見える日も
新島展望の特等席

式根島港(足付桟橋)はかつて客船も着いた桟橋で、今は漁港としての機能が残っている。周囲は磯が点在し、海底に変化があることから魚種豊富。ただし、波を被りやすく、立入禁止になっていることが多い。

DATA
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式根島港
式根島港入口
式根島港船客待合所(トイレあり)

小浜(おはま)漁港は式根島北東部に位置する天然の地形をいかした小さな漁港で、島の漁船に野伏漁港と一体的に利用されている。海岸線の岩石に生えるクロマツと静かな漁港の佇まいが式根島らしい旅情をそそる。

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島の東端にある小の口(このくち)公園は、芝生に子ども向け遊具や花壇、コーガ石のくじらのオブジェが点在する式根島を代表する公園。

DATA
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テニス、フットサル、バスケットボール、ソフトバレー、スケートボードが楽しめる新島村のスポーツ施設。必要な手続きをすれば観光客も利用OK。
敷地内には多数のベンチがあり、休憩に立ち寄るのも便利。

DATA
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野伏港すぐ近くにある式根島観光協会は、式根島の観光のことならなんでもおまかせの心強い存在。パンフレット類の無料配布、連絡船にしきの乗船券販売(切符販売7:00~12:00、14:30~16:30)、式根島のイベント企画・運営、荷物預かり(1個¥300)、オリジナル商品豊富なお土産や式根島物産、アイスクリームなど販売。

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式根島観光協会