
よかったね、おみつさん。
子供の頃、何度も読み返した絵本があります。その絵本の名前は「よかったね ネッドくん」。

かれこれ、50年以上前の1969年に大ベストセラーとなった名作です。ページをめくるたび、主人公のネッドくんに幸運なできごと「よかった!(Fortunately)」と、不運なできごと「でも、たいへん!(Unfortunately)」が、交互に訪れます。幸運のページはカラー、不運なページはモノクロで表現され、文字通りワクワクハラハラと絵本の世界にひきこまれます。次々におそってくる災難を、次々に乗り越えたネッドくんがたどり着いた「びっくりパーティ」で大団円を迎える冒険譚。
今回のお話は、式根島のネッドくん、いや、ひだぶん女将が主役です。
年の瀬の式根島行
2024年の仕事を無事に納めた私は、にぎわうさるびあ丸の船上にいました。帰省する島出身者が多く、年末ならではの様相です。冬の強い西風を受けながら、波しぶきを浴びて進む条件付き出航のさるびあ丸。


なんとか着岸できた野伏港も、時折波が上がる荒れ模様ながら、空は晴天です。

私は、年末のこの時期は毎年、冬山に登り、大晦日は自宅に戻って、簡単なおせちや伊達巻を作り、夜は精進揚げと年越しそばで新年を迎えるのが恒例です。しかし、今年は、年内は式根島に滞在して、大晦日に本土に帰還することになりました。したがって、伊達巻も式根で焼かねばなりません。
車の鍵紛失事件
というわけで、みやとらで伊達巻用の玉子4パックを買い込んで、ひだぶんに到着すると、泊り客は少ないものの、台所に大きなボウルや鍋が積み重なっています。
私は、女将さんに「忙しそうですね」と声をかけました。
「いや、忙しいのは忙しいですけど、それより参っちゃってるんですよー。数日前から一台の車の鍵がなくなっちゃって、必死に探し回ったけど見つからないんです。もう車屋さんに頼んで、鍵の交換修理に出したり、代車を頼まないといけないんですけど、絶対、この家のどこかにあるはずなんですよ。前にもこういうことがあって、そのときは井戸のふたの上で見つかったんです。」
(なるほど、女将さんは、その場で両手を使うときに、持っていた鍵をいったん置く癖があるのだなぁ。ぽんと置くような場所を意識すれば見つかりそうだ)と考えた私は、「わかりました。私がたぶん見つけますよ。」と請け負いました。
女将さんは、私の言いっぷりに少し驚きながら、「本当にあったらめっちゃ感謝します!!」と藁にも縋る勢いです。
その翌日の2日目の未明のこと。
まだ暗いうちから、釣り道具を取りに倉庫に入った私は、椅子の上に光るものを見つけました。ヘッドライトで照らすと、まぎれもなく車の鍵でした。我ながら鮮やかな有言実行っぷりです。私は、ひだぶんの受付に鍵を置いて、釣りにでかけ、女将さんが起きた頃にメッセージを送りました。

餅つきエースのぎっくり腰事件
この日の釣りはパッとせず、小さなアカハタに遊んでもらって昼に納竿。所用をこなして、夕方、ひだぶんに戻ると、テーブルに浸水中のもち米が入った直径60㎝もの大きなボウルが5つも並んでいます。
毎年、昔ながらの杵(きね)と臼(うす)で餅つきをするという話は聞いていましたが、これは想像以上のボリュームです。
「息子が餅が大好きで、自分でつくから!って頼まれて、5臼分も用意したのよ~」と女将さんも気合十分です。明日は、到着した親族や近しい島民の方々で、さぞや楽しい餅つきとなることでしょう。私は邪魔をしないように、一日ずっと、釣りをしていようと考えていると、電話がかかってきました。
そして、女将さんが「えーっ!!!5臼分ももち米用意したのにどうするのよー」と叫びました。
なんと、電話は、餅つきエースの息子さんが、ぎっくり腰になったという連絡だったのです。島には来ますが、段取りがわかる身内のベンチ入りは辛いところ。もち米はもう、水に浸かってますから、5臼分、なんとかしないといけません。女将さんも、先代女将のばぁも、明日は、無事に餅がつけるのかと、顔を見合わせてしまいました。
出血事件
2日目の夕食は、BBQスペースで火起こしして、ピザとダッチオーブン料理です。長逗留中の男性客のBさんが慣れた手つきで火起こしをして手伝ってくれ、私はその合間にノルマの伊達巻を4本焼き上げることができました。
この日の宿泊客は私とBさんだけなので、一息ついた女将さんも交え、焼きあがった鴨や根菜で赤ワインを楽しもうということになりました

席につくと、先にBさんと話をしていた女将さんが「Bさんのお仕事何かわかる?」と私にクイズを出しました。大柄でがっちりとしたBさんは、見るからに強度の運動をしている体形で、運動選手かな?と思ったのですが、正解は治安・安全に関わる業界の医療関係者でした。
なるほど~と盛り上がったところで、鴨に添えるバルサミコ醤油を箱から取り出そうとした私に悲劇が起こりました。同じ箱に入っていた鋭い柳葉包丁がケースから出ていて私の指先に当たり、一瞬で深く切れてしまったのです。最初は「大丈夫、大丈夫」と圧迫止血をして気楽に構えていましたが、全く血が止まりません。そこで、正体が判明したてのBさんが、さっそく診てくれることになりました。
Bさんは、まず私の傷口を確かめたあと、「手当より先に、包丁をしまいましょう」と言って、段ボールで包丁の刃のカバーを即席で作って厳重に処置をしました。再発防止を優先するところが、プロは違います。
そして、患部をきれいに洗って、氷水に漬けることになりました。水に漬けたら傷口が乾かず、血が止まらない気がしますが、おとなしく言われた通りにするしかありません。ボールの中を覗き込むと、私の心臓の拍動とともに、傷口からぴゅっぴゅっと出血しています。これにはさすがに眩暈を覚えます。
「出血多量になる傷じゃありません。気長に冷やしましょう」
という冷静沈着なBさんの言葉通り、1時間して、少しずつ出血量が少なくなくなり、ばんそうこうで止められるところまで来ました。
本来なら、この年末の晩に、ひだぶんから式根島診療所送りが出てしまうところでしたが、偶然、医療関係者が泊まっていて大事に至らず処置ができたことは、私にとっても、女将にとっても幸運だったと言えるでしょう。
私は「この怪我では釣りができないので、明日は手袋して餅つきの手伝いをします」と女将に伝えると、「本当は頼みたかったのよー」とホッとした様子。
要するに、私は餅つきの手伝いをする運命だったのでしょう。
簾(す)がない!
翌朝は、私も、早くから台所に立って、ひだぶん餅つき行事の準備です。まず、もち米を、餅つきの臼が空くタイミングに合わせて次々と蒸かさないといけません。さっそく一回目のもち米を蒸かそうとした女将さんが「大変!もち米を蒸すのに使う簾(す)がなーい!」と叫びました。
簾(す)というのは、蒸し器の底に敷いて、もち米が直接鍋に触れるのを防ぎ、蒸気を均一に行き渡らせるために必要です。

「何か代わりになるようなものないんですか?」
「うーん、似たようなのはたぶん同じ場所にしまってあって…」
似たようなの。
私は、昨夜、焼いた伊達巻を冷蔵庫から取り出しました。
⤵⤵⤵

もう、生地は冷えて成形できているので、巻きすを外して、蒸し器に合わせると、なんとか使えそうです。
「うわー!ありがとうございます!お借りします!!」
こうして、東京から、巻きすを4つも式根島に持参して、伊達巻を焼く酔狂な客がいたおかげで、あとは餅をつくだけです。
途中で年季が入った杵が折れて、柄(え)の中からアリが飛び出すハプニングはありましたが、餅に混ざる寸前でつまみだしましたし、新しい杵があったし、心配していた餅のつき手も、Bさんが船に乗る前に、1臼分、軽々とついてくれたほか、残りも集まった人々の助力で、きっちりつきあげることができました。
女将さんも頑張りました
こうして、ひだぶん年末大一番のイベント、びっくりパーティならぬ「ひだぶん餅つき行事」は、無事に大団円を迎えたのでした。
総括
それにしても、ひだぶんに色々なことが起こった年末でした。
1.車の鍵をなくしたけど、客が見つけた
2.客が深く指を切ったけど、医療関係者の客がいて診療所行きにならずに済んだ
3.簾(す)を失くしたけど、客が巻き簾を持ってきて代用できた
4.つき手がぎっくり腰になったけど、ガタイがいい客が1臼ついてくれた
5.手を切った客が釣りができず、餅つきの手伝いが増えた
6.餅がアリ入りにならずに済んだ
そもそも、車の鍵や簾(す)を失くさず、客が手を切らず、杵は折れず、息子はぎっくり腰にならないほうがいいのですが、すべて(他人のおかげで)リカバリができているところに、ひだぶん女将おみつの運の強さを感じます。
「私、いろいろ起こるんだけど、いつも、なんとかなるんですよー。でも、今回はすごかったわ!」と女将も大満足です。きっと、良い新年をお迎えになったことでしょう。
自分はといえば、釣りもほとんどできず、若干、女将さんのラッキーの巻き添えになった気がしますが、人助けで一年を終えることができましたし、たくさんのつきたての餅と式根の海の幸のお土産をいただき、上出来の伊達巻とともに、上機嫌で、本年最終のさるびあ丸上り便に乗り込んだのでした。
2025年は平和な一年になりますように。
思い出ギャラリー



今回釣った魚
アカハタ
↑黄色は食べやすく美味しい魚(当社比)
今回のお料理(2泊分+自宅)








調理のポイント
[持参したもの]
・はんぺん ・柚子 ・薬味 ・白しょう油 ・ハーブ類 ・ドライトマト ・豚肩ロース ・鴨肉 ・レモンなど
[現地調達]
式根鯛平君(養殖真鯛)、アメリカ芋、人参、ジャガイモ、明日葉など
[工夫とポイント]
・初日は釣れなくても食べられる材料を用意
・式根鯛平君を2匹、式根島養殖場から取り寄せたので釣れなくても気楽です
・ピザはのせて焼くだけで簡単豪華
よりぬきレシピ
書いた人

こんにちは。私は、「自分で釣った魚で料理を作って、美味しいお酒を飲むため」に式根島に通っています。この「今宵もしきねでバエパッチョ」が式根で釣りをやってみるきっかけになったり、自炊民の多少の参考になれば幸いです。