ひょうひょうとしたキャラクターで愛された父、ひだぶん名物「ジィ」は、令和6年8月の終わりに92歳で亡くなりました。式根島に産まれ、式根島に育ち、75年間も漁業協同組合に属した生粋の漁師の生涯でした。

新盆にあたる本年は、お盆期間の後半の宿泊営業を休業し、親族一同で無事にジィを迎え、送り出すことができました。

今回は、式根島のお盆行事の風景を綴りたいと思います。

式根島の迎え盆の支度は、だんとう(お墓)の掃除と飾りつけから始まります。式根島のお寺は、日蓮宗の法光山東要寺が唯一で、肥田家代々のご先祖が眠っています。東要寺には、樹齢900年のイヌマキの巨木やナギの自生地があり、いずれも東京都の天然記念物に指定されております。

東要寺の墓地は、檀家の女衆が浜の白砂を敷き詰めて、毎日のように水を祀り落ち葉を掃き清め、造花を飾っています。お盆の時期はいっそう美しく整えます。

12日に、古くから伝わる盆灯篭を置き、果物やお花、野菜、ジィの好物のチョコレートを供えました。

13日に親族が式根島に集まり、14日に新盆の法要を営みました。今年は、式根島で新盆を迎える家は17軒もありましたので、東要寺の和尚は大忙しです。

式根島の送り盆は「精霊船」を海に流します。今年の精霊船は二艘。うち一艘は肥田家のジィが船頭を務めることになり、船体に生前の愛船「BunBun丸」の名が描かれました。

15日の夕方、野伏桟橋に新盆を迎えた17軒が集まり、各家の代表者と東要寺和尚が精霊船とともに漁船に乗り込み、沖に向かいました。

和尚の読経が響くなか、みんなで二艘の精霊船を式根の海にそっと下ろします。あの世へ帰る船出です。

その後、島民が船を出して精霊船の様子を見に行くと、ジィの精霊船は三宅島方面へ、もう一つの精霊船は新島方面へ向かったそうです。

この時、主な潮の流れは新島へ向かっていましたので、ジィは操船して、大好きな漁場であった早島(はんしま)へ立ち寄ったのかもしれません。

そして、まもなくして、日暮れの頃。

ジィの船が旅立った早島方面に大きな反薄明光線(はんぱくめいこうせん)が出現しました。

別名「天割れ」「裏御光」。
吉兆の印といわれる珍しい気象現象ですが、ジィを知る人が見れば、大きな大きな裏ピースに見えるかもしれません。

おかげさまで良いお盆になりました。

現在、ひだぶんは通常営業に戻って、たくさんのお客様をお迎えしています。どうぞ、式根島に遊びに来てください。

参考:反薄明光線とは